高専の非常勤講師で思うこと

豊田高専、不合格でした

中学3年生の時、志望していた学校は豊田高専(豊田工業高等専門学校)でした。
当時、世帯収入も少なかったため、国立で授業料が低く、卒業してからの就職が確実で収入も見込める高専を志望しました。
また、国立豊橋技術科学大学の3年次へ編入する道もあり、考え方によっては選択肢の多い進路です。
学習塾に通うこともままならず、こづかいで参考書を購入して受験勉強をしていました。
しかし、周りの状況も分からなかったので、のんびりと受験勉強をしていました。

競争なんて考えても見なかったものだから、入学試験の結果は不合格。
15歳にして、自分の強い一方的な思いだけでは、叶わない希望もある事を知らされました。

普通高校への進学

高校浪人の道は無かったので、県立の普通高校に進学しました。
ただ不合格は悔しかったので、高専卒業後に進学できる豊橋技術科学大学を志望校にしました。
また背水の陣を敷くため国立単願にしました。私立大学は受験しませんでした。
仮に合格しても高額な授業料は払えません。
高校3年生のときは、高専不合格の悔しさをバネに勉強へ打ち込み、共通一次試験、二次試験、面接試験を経て志望大学に合格しました。
その後、技術者として就職し現在に至っています。

驚きの話

技術系のサラリーマンとして就職し、30年程過ぎた時、豊田高専の非常勤講師の話が入りました。
入学試験は不合格だった事は伏せてあるので驚きでした。
逆に両親には、『30年近くも経って、この歳でそんな話を聞いても大して嬉しくもない。』と、半ば呆れていました。

人生に合格も不合格もない

15歳の時、志望した学校は不合格でしたが、52歳の時、かつて志望した学校の非常勤講師になりました。
採用の連絡を受けた時、過去のことは気にしない高専の懐の深さを思いました。
当時、夢を見ていた事は叶いませんでしたが、それでもエンジニアとしての仕事が好きなので、諦めず続けていました。

大した努力はしていませんが、この仕事を続けて来た結果、豊田高専の非常勤講師に採用されたと考えています。
採用されるまでの長い時間を振り返ってみると、人生に合格も不合格もないなぁ。と思いました。

この時期は合格、不合格の声を耳にする時期です。
若い時の不合格通知は先を閉ざされたような気持ちにさせますが、それでも好きなことを諦めずに続ければ、別の道が拓けます。
その先に若い時に進みたかった道に合流するかもしれません。

特段に頑張らなくても良いので、好きな事を諦めず続けましょう。

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